近年、不登校の子どもの数が増えるにつれて、
「不登校でも大丈夫」
「不登校は不幸じゃない」
というポジティブな声が聞かれるようになりました。私もこれには同意見で、学校へ行っていないだけで「人生終わり」なんて言ってしまうのは極端だと思います。
ですが、
不登校の子どもが全員無条件に大丈夫なのかと聞かれると、私は「はい、大丈夫です」とは答えられません。なぜなら、SNSやテレビなどで、”不登校でも大丈夫”と言っている人のほとんどが、自身の成功例だけを根拠に発言していて、どうして不登校でも大丈夫なのかという肝心な内容が曖昧になっていると感じるからです。「私が大丈夫だったからみんなも大丈夫」はいつも通用するとは限りません。
私は、不登校でも大丈夫だった人には何かしらの共通点があるのではないかと考えています。そこで、今回の記事では私が「
不登校でも大丈夫だった理由」について自分自身で分析した結果をまとめています。ちなみに大丈夫という言葉はかなり抽象的なので、ここで言う「大丈夫」は、
自立して社会参加できている状態のことを指すことにします。
不登校でも大丈夫だった理由
大丈夫だった理由その① 家族の対応
大丈夫だった理由の1つ目は家族の対応にあると考えています。不登校になった当時私は、両親、祖母、姉2人の6人家族でした。家族の中の誰一人、私が学校へ行かないことを一度も責めず、不登校に理解を示してくれたのです。
不登校になったばかりの頃の私は、毎日お昼近くに起きて、ゲーム三昧な生活をしていたにも関わらず、誰も叱らず、否定せず家庭に居場所をつくってくれていました。一見すると、甘やかされていたように思えますが、母には
「学校は行かなくて良いから朝はちゃんと起きなさい」と言われていました。
また、母は、私を一度自分の職場に連れて行ってくれたことがありました。同僚に「お嬢さん学校は?」と聞かれた時、私は焦りましたが、堂々と「社会勉強させているの」と答えた母は本当に頼もしかったですね~。
さすがに、家族みんな心の中では私に思うことがあったと思いますが、それを直接口に出さないでいてくれたことに感謝しています。もし、学校にも行けず、家庭にも心が休まる場所がなかったら最悪の事態に追い込まれていたのではと恐ろしく思います。
大丈夫だった理由その② 社会との繋がり
私が大丈夫だった理由の2つ目は、不登校でも外との繋がりを維持することができたからだと考えています。中学生の頃は放課後、学校から帰宅した友人に会ったり、休日は一緒に遊んだりしていました。また、中2の時に我が家には新しい家族(わんこ)が増え、散歩のために外に出て近所の人に挨拶することも習慣になっていました。後から聞いた話ですが、私が知らない人にも自分から挨拶している姿に母は驚いたそうです(笑)
さらに、16歳から接客のアルバイトを始め、様々な年代のスタッフやお客さんと関わることで、コミュニケーションスキルを高めることができました。中にはカスハラ気質なお客さんもいて、どのように対応するべきか試行錯誤しながら働いたことは良い社会勉強になったと思っています。他人に舐められない方法とか、クレーマーを怒らせない方法など役立つ対人スキルが身に付きました。(笑)
このように、不登校になっても社会との接点が常にあったことで孤立を防げたのではと思います。
大丈夫だった理由その③ 生活習慣
3つ目は比較的規則正しい生活を送ることができていたからです。これにはちょっとした理由があります。不登校になった当初は、夜遅くまでゲームをしていて昼夜逆転のような生活になっていましたが、実は中3の時に、母が病気で半年間入院することになったのです。それまで、母がやってくれていた家事全般(料理、洗濯、掃除、買い物、祖母の世話、わんこの世話など)を学校に行っていない私がやることになりました。洗濯機も、掃除機もまともに使ったことがなかったので苦労し、自分がいかに自立できていないか思い知らされました。特に洗濯機は朝回さないと、夕方までに乾かないので気合で起きるしかありませんでした。
家事という役割が与えられたおかげで規則正しい生活習慣を送ることができたので良かったと思います。
中学生で家事の基本が身に付いたので、初めての一人暮らしの時は全くハードルがありませんでした。ちなみに母はその後無事退院し、今も元気に生きています。
大丈夫だった理由その④ 将来のことを考えていた
4つ目の理由は将来のことを自分で考えていたからです。私は中学卒業後、4年ほどアルバイト生活を送りましたが、その間何も考えずに働いていたわけではなく、将来何がしたいのか、自分なりの目標を持つようにしていました。精神論的な言い方になってしまいますが、不登校でもなんとかしてやるという気合いがあったと思います。自分で選択した不登校という道だからこそ、自分で責任を持って生きなければならないと無意識の中にも思い続けて、行動してこれたのだと思います。このような前向きな気持ちを持ち続けることができたのは、もちろん私自身の性格もあると思いますが、ずっと信じて続けてくれた家族、友人の存在がとても大きかったです。とにかく感謝。
おわりに
ここまで、私が不登校でも大丈夫だった理由について書き出してみました。パラレルワールドがあるわけでないので、実際にこの4つが理由で大丈夫だったかどうか厳密な議論は不可能なのですが、大なり小なり影響があったであろうことを書いています。特に、「④将来のことを考えていた」は最も影響の大きい要因ではないかと思います。
「こうなりたい」という姿があれば、そうなるための情報を得ようと行動しますし、それを周囲にも伝えていくことで、情報やチャンスが集まってくるようになります。
自分の選択、人生に責任を持って生きていけると良いですね(^_-)