
12年も前の話だから、あの頃の自分の状況を客観的に見れていると思う。もちろん、不登校になる理由は人それぞれだけど、私の場合を知ってもらうことで不登校に関心を持ってくれている誰かの参考になれば嬉しい。
不登校に関する話題を聞いていると、不登校になった「きっかけ」と「理由」が混同されていることが多いが、私は明確に区別している。きっかけはあくまできっかけに過ぎず、理由は案外別のところにあったりするからだ。私が今日書くのは不登校になった理由であって、不登校になる決め手となった具体的なエピソードについては別の機会に譲ることにする。
そして、今日ここに書く内容には学校教育批判の意図がないことをあらかじめ断っておきたい。
早速、私が不登校になった理由は、次の3つの要因が複雑に絡み合ったものであると考えている。
① 生まれ持った不安気質
② 集団行動が苦手な性格
③ 学校教育へ疑問を感じていた
① 生まれ持った不安気質
私は小さい頃から不安を感じやすかった。6歳までは場面緘黙症で、家族以外の人と会話することができなかった。日本における場面緘黙症の研究論文は多くないが、場面緘黙症の当事者・経験者は二次障害として、うつ病や社交不安障害、双極性障害などの気分障害が生じることがあると考えられている。※
私の場合、緘黙自体は小学生になるまでには治り、基本的に誰とでもそつなくコミュニケーションが取れるようになったが、25歳になった今でも家族・強い信頼を置いている人以外との会話はかなりの体力を消耗する。そんなストレスもあったのか、緘黙症を克服した後、物心ついたころから脳が鬱っぽさに支配されるようになっていた。明確な年齢は覚えていないが、私の脳に初めて自死がよぎったのは小学校低学年だった。小学校高学年になると、朝起きることがかなり辛くなっていた。朝起きて一番に思うことが「死にたい」だ。特別な理由もなく絶望感に襲われる。だけど、その頃の私は朝死にたいのは人類共通だと思っていたし、自分の状態を言語化する能力もなかったのでなんとか学校へは行っていた。
この生まれ持った不安気質から鬱っぽくなってしまったのが、不登校になった理由の1つで、次に書く2つ目の理由がこれに拍車をかけたのだと思う。
② 集団行動が苦手な性格
個人的に、これは不登校あるあるではないかと思っている。私にとって同質性の高い集団ほど恐ろしいものはない。
記憶にある限り、初めて集団行動に違和感を抱いたのは小学3年生。体育の授業かなにかで、学年全員で同じダンスを踊らなければならなくなり、私はこれにかなり気味の悪さを感じていた。嫌々踊っているのが先生にばれてしまい、注意されたことでますます学校への嫌悪感が増大した。他にも、全員で声を揃えて教科書を読んだり、軍隊のように整列したり、集団の中にいると自分の個性がなくなっていく不安があった。
これが2つ目の理由。これに追い打ちをかけたのが次の理由だ。
③ 学校教育へ疑問を感じていた
少し偉そうな書き方だが、中学生になってから学校で行われる教育に疑問が止まらなくなってしまった。念のためもう一度言っておくが、私は決して文部科学省や学校教員を責めたいわけではないので、そこは汲み取っていただきたい。
中学生になった途端急に規律が厳しくなった。例えば、
- チャイムと同時に着席しないと鬼のように怒られる
- 制服のスカートの長さ、靴下の色、髪型の決まり
- 廊下で先輩にすれ違うたびに挨拶する決まり(同じ人に1日何回挨拶すれば気がすむのか…)
これが俗に言う中1ギャップとかいうやつなのだろう。ますます同質性の高い集団ができあがっていった。とはいえ、先生たちも我々を社会に出すため、一つ一つが教育的意義を持たせた指導だったはずで、一生懸命だったのだと思う。
一方で、目的なしに行われているだろう指導もたくさんあったと思われる。私は一度うっかり、サンダルで学校へ行ってしまったことがあった。それを見た先輩が教員に言い、長々と説教された記憶がある。
時間をかけて叱られるわりには一向に見えてこない「サンダルを履いてきてはいけない理由」。間違えて履いてきただけでこんなにも叱られるのかと不思議だった。
学習面でも疑問を感じることが増えた。まず、私を苦しめたのは班田収授法と墾田永年私財法だ。(笑)
税金を納めてもらうために民衆に農地を与える、8世紀頃の歴史で登場する2つの法。ワークを3回繰り返して提出しなければならない決まりがあり、漢字用語の多い歴史に嫌気がさしていた時、思ってしまった。
「ネットで調べればすぐ出てくるであろう用語の記憶に若い脳みそを使っていいのだろうか。」
歴史を学ぶ意義とは、歴史上の人物や年号、法律の名前を覚えることではなく、なぜその出来事が起こったのか、時代背景から考察し、歴史から学ぶことではないだろうか。(歴史から学ばないから人類は戦争を繰り返しているのではないか~)
インターネットが普及した時代に、必死に暗記することを馬鹿らしく感じてしまった。だけど、それでもテストで良い点を取らなければ高校受験に失敗する…という2つの思いとの葛藤で私の鬱っぽさはエスカレートしていく。
以上にあげた3つの理由が複雑に絡み合い、私の自己肯定感は異様に低くなり、学校にいると息ができなくなるほど苦しくなってしまった。呼吸の仕方を忘れる、という現象は鬱を経験したことのある人には共感してもらえると思う。
このままでは自分が自分ではなくなる。そんな恐怖から逃れるように、中学1年生の時、学校を途中で抜け出し内履きのまま家に帰った。限界だった。
これが私が不登校になった理由。
25歳になった今でも自分のもともとの性格、性質はそのままで、4人以上の集団は苦手だ。それでも学校から離れれば、自分らしく生きられる場所があった。今は私を縛るものは何もなく、不自由なく生活できている。
最後に
こんな風に、私は自分が不登校になった理由を言語化するまでに10年以上の時間がかかった。理由が気になるのは、不登校になったことのない人たちからすれば当然のことかもしれない。
だけど、現在小学生・中学生・高校生の不登校当事者が「どうして学校へ行かないの?」という周囲からの問いに答えることの困難さを想像してほしい。
自分の状況を表現するための語彙を持っていない、あるいは言語化できたとしても、彼らが使用した言語が、あなたと同じスキーマで使用されているとは限らない。
本人が語ろうとしないのであれば、ぐっとこらえて、“これからどうしていきたいのか”。その子に合った自立の方法に目を向けて欲しいと思う。
という個人的な見解でした。
【参考】
田中佑里恵『場面緘黙当事者・経験者の症状・治療・職業等の現状』(2021)

