私が精神科で双極性障害と言われるまでの経緯【体験談】
診断が変わる背景を解説

芸能人が公表することが増えてきている精神疾患の1つに「双極性障害」があります。(最近では双極症と言われるようになりました。)

筆者も数年前に精神科で双極性障害である可能性が高いと言われた経験がありますが、受診に至るまでの長い間、気分が落ち込みやすいのは「自分の性格の問題だ」と決めつけてしまい、かなり辛い状況に追い込まれてしまいました。

今日の記事は、自分が双極性障害かもしれないと悩む一方で「性格の問題ではないのか」と迷っている方に向けて、私の体験を届けたいと思い書きました。

※本記事の内容は、筆者の個人的な体験や感じたことに基づいて記述しています。双極性障害やその他の症状について、自己判断で診断・治療を行うことは大変危険です。体調や症状に不安がある場合は、必ず医療機関や専門の医師にご相談ください。

基本的な性格

私は小さい頃から不安を感じやすいタイプで、些細なことにストレスを抱えたり、人の目を気にする傾向がありましたが、人と関わること自体はそこまで嫌いではありません。どちらかと言えば目立ちたいタイプで、周りからは「明るい人」とイメージを持たれることが多いです。

 

最初の異変|中学生

私の精神状態に最初に異変が起きたのは10年以上前に遡ります。

中学生の頃でした。自他ともに認める「the 優等生」だった私が、家庭でのストレスから学校の先生に暴言を吐くようになります。詳細について書くと長くなるので割愛しますが、それまで先生の言うことに従ってきた自分が豹変してしまったのです。多感な時期でいらいらしてしまっていたのか、他人に対して攻撃的になっていました。

数か月すると落ち着いたのですが、この異変について当時はあまり自覚することができませんでした。

次の異変|高校生

高校生になり心機一転、勉強に部活に頑張ろうと張り切っていた私でしたが、夏頃から次第に遅刻や欠席をするようになります。

原因は「朝起きられない」ことでした。朝、目が覚めると”消えたい”と心が呟いているいる感覚でしたね。

母曰く、私は小さい頃から早起きが苦手だったのですが、中学生で不登校になった頃からどんどん早起きが苦手になりました。

結局高校1年生で取得しなければならない単位を全て落としてしまったため、最初に入学した高校は1年で辞め、通信制高校に編入学します。

この頃の心情としては、朝の絶望感は本当に苦しいけど、心のどこかで「ただの甘えなのかも」と思っていました。

 

突然のやる気|大学受験

通信制高校に入学した後も留年を繰り返していた私でしたが、地元の同級生がTwitterで大学入学の報告をしているのを見て、焦ったのか「私も大学に行きたい」と燃え始めます。

留年しまくっていたのでまだ大学受験資格の”高卒”がない状態でしたが、思い立った年の夏に高卒認定試験に合格し、そこからさらに受験猛勉強をし翌年の春には国立大学合格を果たします。

おそらくこれが躁状態とやらだったのでしょう。
いつもなら眠くて仕方ない冬も不思議と眠くなく、毎日夜中の2時ごろまで勉強していました。2時に勉強を終えてもなかなか寝付けず、肌も荒れていましたが、気合で乗り切ります。

 

躁から鬱へ|大学入学後

大学入学後、これまた心機一転勉強頑張ろうと思って張り切っていた私でしたが、次第に大学生活へ不適応を起こし始めます。毎朝早く起きて、電車に乗って1時間半かけて大学へ向かう。普通に学校へ通ってきた人ならば当たり前のことに、私は適応できませんでした。自分のもともとの性格や過去のトラウマを含め、色々な要因があったのですが、次第に鬱状態へなってしまいます。

朝起きた時の絶望感、体の重さ、気分が大きく落ち込み、大学に行かなくなります。

明らかな鬱状態だったにも関わらず、この頃の私はまだどこか心の中で、

「自分はダメな人間なんだ、甘えているんだ。変わらなければ。」と自分を責めていました。

 

鬱から躁へ

鬱状態の時に近親者の死が重なり、あまりの悲しさに逆に元気になってしまいます。これがまさに躁状態と言うのでしょう。友達と朝まで寝ずにカラオケ、ダーツ、ドライブ。そして寝ないままバイトに行くなど不規則な生活を送ります。また、普段なら避けるタイプの種類のアルバイトを始めてしまい「頑張ったるでーー!」と燃えるのですが、これも長くは続きませんでした。

いよいよ精神科を受診

躁の時に始めたアルバイトでしたが、次第に気分が沈むようになりやる気がなくなっていきます。

午後からアルバイトがある日はぎりぎりまで寝て、休憩時間に自宅に戻ってはまた寝るようになり過眠傾向になっていきました。

そして気が付けば、「もう人生を終わりにしたい」と常に考えてしまうようになっていました。この頃、家族と外食に行き普通に食事を済ませて帰宅した直後、自室に閉じこもり最悪の決断をしてしまいそうになったことがありました。これをきっかけに

もう医者の助けを借りよう。

そう決断しました。

診察は2週間後くらいだったと思います。

診察の日、主治医に「死なないといけないかもしれません」と話をしました。その頃は死ぬしかない、と頭がいっぱいになっていたようです。

それを聞いた主治医が一言

「死ななくて良いんですよ?」

それまで死んじゃだめだ、という言葉はかけられたことがありましたが、「死ななくて良い」という答えに、はっとしたのを覚えています。

あぁそうか、死ななくて良かったんだ。

そんなことにも気づけないほど思考・判断力が落ちていたのですね。

 

その後の診察で、躁エピソードがなかったかや、家族に双極性障害の人がいないかなど色々なことを質問され、最終的に、双極性障害の可能性が高いですね。と言われました。

そして炭酸リチウムや眠剤を処方されます。

 

 

今日は精神科受診に至るまでの経緯を書いてみました。最初の異変から10年程経っていました。

どうか皆さんが気分が落ち込むのは自分の性格のせいだと決めつけて、受診がおくれませんように。

 

 

 

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